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AI(人工知能)を巡る規制は、もはや技術部門や法務部門だけの問題ではなく、企業の事業戦略そのものを左右する重要な要素となっています。特に、EUと日本の両市場でAIを開発・提供・利用する企業にとっては、両者の規制アプローチの違いを正確に理解することが不可欠です。本稿は、EUと日本におけるAI規制の考え方の違いを整理し、それが企業実務にどのような影響を与えるのかを、実務の視点から解説するものです。
EUは、EU AI法(EU Artificial Intelligence Act)により、AIをリスクに応じて分類し、高リスクと位置付けられるAIについては、市場投入前から詳細なガバナンス体制、技術文書の整備、適合性評価等を求める包括的かつ拘束力のある制度を採用しました。EU市場への進出やサービス提供を行う企業にとって、AI規制対応は付随的なコンプライアンス事項ではなく、プロダクト設計や市場参入戦略の中核的な検討事項となりつつあります。
これに対し、日本は、AIに特化した包括的なハードローを導入するのではなく、「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律」(いわゆるAI推進法)を中心に、研究開発・社会実装を促進しつつ、個人情報保護法や労働法、消費者保護法等の既存法制によって具体的なリスクに対応するという政策を採っています。このイノベーション重視・事後的責任追及型のモデルは、初期段階での規制負担を抑える一方、企業には内部ガバナンスや説明可能性の確保が強く求められます。
クロスボーダーでAIビジネスを展開する企業にとって、こうした違いは、コンプライアンスコスト、開発スケジュール、組織体制の設計に直接的な影響を及ぼします。EU基準に合わせた対応が一つのベースラインとなる場合もありますが、それだけで日本法上の論点が解消されるわけではありません。逆に、日本市場を前提に設計されたAIシステムは、EU市場に展開する際に大幅な見直しを迫られることもあります。本稿が、こうした判断を行う際の実務的な指針となることを意図しています。
なぜ各国のAI規制はこれほど異なる方向に進んでいるのか、そしてその違いは企業実務にどのような影響を与えるのか。
AI規制を巡る議論は、「EUは厳しい」「日本は緩やか」といった単純な対比で語られがちです。しかし、この捉え方だけでは、企業実務にとって本質的な問題を見誤るおそれがあります。重要なのは、規制の厳しさそのものではなく、各国がどのような制度設計によってAIリスクに向き合い、その結果として企業の意思決定や事業運営にどのような影響が生じるのかという点です。
EUと日本の対比が特に示唆的なのは、両者が「信頼できるAIの実現」や「社会的リスクの抑制」といった政策目的を共有しながらも、まったく異なる法的枠組みを選択している点にあります。EUは、AI専用の包括的な法制度を通じて、事前のリスク管理と市場投入前の統制を重視するアプローチを採用しました。一方、日本は、既存の法制度と行政実務の中にAIガバナンスを位置付け、問題が顕在化した段階で対応するという枠組みを基本としています。
こうした制度設計の違いは、企業にとって抽象的な法政策論にとどまりません。それは以下のような日常的な実務判断に直結します。
本稿では、いずれの制度が規範的に望ましいかを論じることを目的とはせず、EUと日本のAI規制が実務上どのように機能しているのか、そして両市場でAIを活用する企業が何を理解しておくべきかを明らかにします。まず両者の規制思想を整理し、次に各制度の具体的内容を確認した上で、実務的な比較とケーススタディを通じて企業への影響を検討し、最後に企業が取るべき対応のポイントを提示します。
EUと日本のAI規制を比較する際の出発点は、「新しい技術をどのような法形式で規律するか」という根本的な問いにあります。すなわち、法的拘束力を伴う明確な義務を事前に課すべきか、それとも柔軟性を重視したガイドラインや既存法制による事後的な対応を中心とすべきか、という問題です。
ハードローとは、一般に、法的拘束力を有し、違反した場合に裁判所や行政機関による制裁が科され得る規範を指します。法律、政令、省令といった形式で明文化され、執行機関による強制が可能です。ハードローの利点は、法的確実性が高く、権利義務関係が明確になる点にあります。企業にとっては、何が許され何が禁じられているかが事前に分かるため、長期的な投資判断やコンプライアンス体制の構築がしやすくなります。
ソフトローとは、法的拘束力自体は有しないものの、行政指導や業界慣行、レピュテーション(評判)、市場の期待を通じて行動を方向付ける規範を意味します。ガイドライン、ベストプラクティス、原則声明などがこれに該当します。ソフトローの利点は、技術進展や社会状況の変化に応じて柔軟に更新できる点、そして事業者の創意工夫の余地を残せる点にあります。
AIのように技術進展が速く、社会的影響の射程が不確定な分野においては、この選択は特に重要な意味を持ちます。
(1) ハードローの利点と課題
利点として、ハードローは責任の所在を明確にし、基本的権利を強く保護できます。特に、AIが雇用、信用評価、社会的サービスへのアクセスといった重要な場面で用いられる場合、明確な法的保護があることで、個人の権利が侵害されるリスクを低減できます。また、域内での統一的な基準を設けることで、企業にとっても複数国での展開が容易になり得ます。
他方で課題もあります。技術の進展速度が速い分野では、法制度が実態に追いつかず、時代遅れになるリスクがあります。また、詳細な規制は、特に資金や人材に限りのあるスタートアップや中小企業にとって過度な負担となり、イノベーションを阻害する可能性があります。
(2) ソフトローの利点と課題
ソフトローは、変化への適応力に優れています。ガイドラインであれば、新たなリスクが判明した際に速やかに更新することができます。また、事業者に自主的な工夫の余地を残すことで、多様なアプローチが試され、社会全体として最適な解決策が見つかりやすくなる可能性があります。
しかし、ソフトローには予見可能性の低さという課題があります。何が法的に許容されるのかが明確でないため、企業は慎重にならざるを得ず、かえって萎縮効果が生じることもあります。また、実効性や説明責任のメカニズムが弱く、実際に問題が生じた際の対応が後手に回るリスクもあります。
EUと日本は、このトレードオフに対して明確に異なる解を示しました。
EUの選択は、域内での統一的なルールと高い法的確実性を優先するものです。単一市場を形成するEUにとって、加盟国間での規制の断片化を防ぎ、企業が複数国で一貫した対応をとれるようにすることは重要な政策目標です。また、基本的人権の保護を重視するEU法の伝統からも、AIによる権利侵害リスクに対して明確な法的保護を設けることは自然な選択でした。
日本の選択は、国際競争力の維持や実証実験の促進を重視するものです。日本政府は、AI分野において諸外国に遅れをとっているという認識を持っており、規制による過度な制約を避けることで、企業による積極的な研究開発と社会実装を後押しすることを選びました。既存の法制度が一定の安全網として機能するという前提のもと、AI特有のハードローは最小限にとどめる判断をしています。

前章で示した概念的枠組みを踏まえ、本章ではEU AI法の具体的内容を検討します。
EU AI法は、2021年に欧州委員会から提案され、欧州議会と理事会での立法交渉を経て2024年に正式に成立しました。2025年から段階的に適用が開始されており、条項によって施行時期が異なります。
本法の中心的な組織原理は、リスクベース・アプローチです。AIシステムをその利用態様や社会的影響に応じて分類し、リスクが高いと評価されるAIほど厳格な義務を課すという構造を採っています。この枠組みは、すべてのAIに一律の規制を課すのではなく、真にリスクの高い領域に規制資源を集中させるという考え方に基づいています。
(1)地理的適用範囲
EU AI法は、EU域内に設立された事業者に限らず、以下の場合にも適用されます。
この広範な域外適用により、日本企業や他の第三国企業であっても、EU市場を対象とする場合には規制対象となる可能性があります。これは、EU一般データ保護規則(GDPR)が採用したアプローチと類似しており、EUの規制が実質的にグローバルスタンダードとして機能する可能性を示唆しています。
(2) 適用除外
一方で、以下のような活動は適用除外とされています。
また、自由でオープンソースのライセンスの下で開発・公開されるAIについては、高リスクに該当しない限り、一定の配慮がなされています。
EU AI法の執行は、複層的な体制を採用しています。 EU レベルでは、欧州委員会内に新設されたAI Officeが中核的な調整・監督機能を担います。特に、汎用AIモデル(General-Purpose AI Models)については、AI Officeが直接的な監督権限を持ちます。
加盟国レベルでは、各国が指定する所管当局および市場監視当局が、日常的な執行を担当します。これは、製品安全規制やデジタル規制における他のEU法制と同様の枠組みであり、中央での政策調整と現場での執行能力を組み合わせる意図があります。
EU AI法は、AIシステムを以下の4つのカテゴリーに分類しています。
EU AI法第5条は、基本的人権に対するリスクが許容できないと判断されるAI手法について、全面的に禁止しています。これには以下が含まれます。
これらの禁止は、違反した場合に最も重い制裁の対象となります。
AIシステムが以下のいずれかに該当する場合、高リスクAIとして分類されます。
(1)類型1: 製品の安全コンポーネント
既存のEU製品安全法制(Annex Iに列挙)の対象となる製品の安全コンポーネントまたは当該製品自体としてのAI。例えば、医療機器、自動車、航空機などに組み込まれたAIが該当し得ます。
(2)類型2: 特定の高影響領域での利用
Annex IIIに列挙される用途でのAI。主なものとして以下があります。
ただし、Annex IIIに列挙されていても、個別の事案において重大なリスクを生じさせないことについて、堅固な文書化と正当化理由を提示できる場合には、例外的に高リスク分類から除外され得ます。
高リスクAIのプロバイダー(提供者)およびデプロイヤー(利用者・導入者)には、詳細な義務が課されます。
(1)用語の定義
プロバイダー: AIシステムを開発し市場に提供する者
デプロイヤー: AIシステムを自らの権限・管理下で使用する者(導入企業等)
(2)プロバイダー(提供者)の主な義務
(3)デプロイヤーの主な義務
デプロイヤー(AIシステムを自らの権限・管理下で使用する者、すなわち導入企業等)にも以下のような義務が課されます。
EU AI法違反に対しては、以下のような行政制裁金が科され得ます。
これに加え、是正措置、市場からの撤回、リコールといった行政措置も可能です。

本章では、日本のAI規制アプローチを詳しく検討します。
日本の「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律」(AI推進法)は、2024年に成立し、同年中に全面施行されています。この法律は、EUのような包括的な規制法ではなく、政策推進法としての性格を持っています。
法律の目的は、第1条で「人工知能関連技術の研究開発及び活用を推進し、もって経済社会の発展及び国民生活の向上に寄与すること」と明記されており、「規制」よりも「推進」に重心が置かれています。
(1)立法者の問題意識
立法過程の資料によれば、日本政府は、AI技術の開発・実装において主要国に遅れをとっているという認識を持っています。同時に、AIの社会的影響に対する国民の関心も高まっています。このような状況下で、新たな包括的規制を導入するのではなく、イノベーションを促進しつつリスクは既存法制で対応するというバランスを選択しました。
この考え方は、日本の行政法の伝統とも整合的です。日本では、規制目的を達成する手段として、法的拘束力のあるハードローだけでなく、行政指導、ガイドライン、業界団体との協議といった柔軟な手法が広く用いられてきました。レピュテーション(評判)や「お上」との関係性が重視される日本の企業文化においては、こうしたソフトな手法も一定の実効性を持ち得ます。
(2)基本理念(第3条)
AI推進法は、以下のような基本理念を掲げています。
これらは、ソフトローとしての指針であり、直接的に私人間の権利義務を創設するものではありませんが、後述する「合理的な措置」の内容を解釈する際の基準となります。
(3)事業者の責務(第7条)
AI関連事業者(活用事業者)には、第7条により以下の2つの責務が課されています。
①AI活用の努力義務: 自ら積極的なAI関連技術の活用により事業活動の効率化および高度化ならびに新産業の創出に「努める」こと
②施策への協力義務: 国・地方公共団体が実施する施策に「協力しなければならない」こと
①は努力義務にとどまりますが、②は「協力しなければならない」という義務であり、協力しない場合は後述する第16条に基づく指導・助言その他の必要な措置の対象となり得ます。ただし、EUのような明確な罰則規定や詳細な義務内容が定められているわけではありません。
AI推進法にはEU AI法のような明示的な域外適用条項は設けられていません。しかし、政府の政策文書および大臣答弁により、日本市場で事業活動を行う国外企業(日本語でのサービス提供や日本のユーザーを対象とする場合等)は、適用対象から一律に除外されるものではないことが明らかにされています。
同法の規定は努力義務として定められていますが、日本国内で活動する企業(国内・国外を問わず)は、個人情報保護法、労働法、消費者保護法、業法等の既存法制の全面的な適用を受けます。
AI推進法第16条は、国に対して以下の権限を付与しています。
第16条後段(上記4)は、「講ずることができる」ではなく「講ずるものとする」という規定となっており、国による指導・助言が積極的に実施される可能性を示唆しています。ただし、具体的な措置の内容や判断基準については、今後の運用において明らかになると考えられます。
日本のAIガバナンスにおいて最も重要なのは、既存法制がAIに関する実質的な法的リスクの源泉となるという点です。AI推進法は理念と方向性を示すにとどまり、具体的な法的責任は、以下のような既存法によって判断されます。
AIシステムの開発・運用において個人情報を取り扱う場合、個人情報保護法の全面的な適用を受けます。
(1)訓練データの収集
機械学習モデルの訓練に個人情報を用いる場合、以下が問題となります。
判例・実務上、AI訓練目的が「当初の取得目的」に含まれていない場合、新たな目的での利用として本人同意が必要となる場合があります。
(2)プロファイリングと本人関与
AIによるプロファイリング(個人の行動・関心等を分析・予測すること)は、個人情報保護法上、「保有個人データ」の利用として位置付けられます。本人は、開示請求権(第33条)や利用停止請求権(第35条)を有するため、AIによる判断のロジックや根拠についての説明が求められる場合があります。
(3)海外事業者への委託・移転
AIモデルの訓練や推論を海外のクラウドサービスで行う場合、外国にある第三者への提供(第28条)の問題が生じます。本人同意または適切な体制整備が求められます。
AI採用ツールや人事評価AIは、以下の法的リスクを伴います。
消費者向けにAIサービスを提供する場合、以下が適用され得ます。
ここまでで両規制の内容を確認しました。本章では、その違いが企業実務に与える具体的な影響を整理します。
以下の表は、EUと日本のAI規制アプローチを実務的な観点から対比したものです。
| 項目 | EU(EU AI法・ハードロー) | 日本(AI推進法+既存法・ソフトロー+α) |
| 規制の基本的性格 | 拘束力のあるAI専用規制により、法的に強制可能な義務を設定 | 政策主導のガバナンス。既存の分野別法制と組み合わせて対応 |
| 規制の重点 | 基本的人権の保護を、リスク管理と事前統制によって実現 | イノベーション促進。リスクは事後的責任によって対応 |
| リスク分類 | 明示的なリスクベース分類(許容不可・高リスク・限定的リスク・最小リスク) | AI特有のリスク分類体系なし。リスクは既存法の枠内で個別評価 |
| 主要な義務 | 市場投入前の適合性評価、技術文書、リスク管理、人間による監視 | ガバナンス体制、合理的措置の努力、個人情報保護法・労働法・消費者保護法の遵守 |
| 執行モデル | EUレベルでの調整の下、各国の監督当局が行政執行 | 行政指導、公表、既存法による執行 |
| 罰則・制裁 | 重大な行政制裁金、是正措置、市場からの撤回 | AI法自体の罰則なし。既存法令違反に基づく制裁 |
| 域外適用 | あり。AIシステムがEU市場または域内個人に影響する場合に適用 | 原(則として国内中心。ただし既存法(個人情報保護法等)の域外適用はあり |
| 企業への実務的影響 | 高い初期コンプライアンスコストと長い上市期間。ただし法的確実性は高い | 初期の規制負担は低いが、内部ガバナンスと行政対応力が重要 |
前章までで説明した制度的相違は、企業実務において以下の形で具体化します。
(1) コンプライアンス体制とコスト
EUでは高リスクAIについて、市場投入前にリスク管理システム、データガバナンス、技術文書、適合性評価等の完了が必須です。これには専門人材や外部アドバイザーの関与が必要となり、相当な初期投資を要します。
日本ではAI特有の事前承認制度がないため初期コストは抑えられますが、問題発生時に合理的な判断プロセスを説明できる記録整備と、既存法制(個人情報保護法、労働法等)への対応が求められます。
(2)市場投入までの期間
EU高リスクAIの適合性評価と社内準備には数ヶ月を要する場合があり、競争の激しい市場では重大な考慮要素となります。日本では技術的準備が整い次第のサービス開始が可能ですが、事後的リスクは企業が自ら管理する必要があります。
(3)法的予見可能性
EUは禁止行為、リスク区分、義務内容が明文化され全加盟国に統一適用されるため、予見可能性が高く長期投資判断がしやすくなります。日本は既存法制の解釈・適用による事後判断が中心で、新規利用態様については不確実性が残る場合があります。
(4)執行リスク
EU違反には最大3,500万ユーロまたは全世界売上高7%の制裁金に加え、製品撤回や是正命令のリスクがあります。日本のAI推進法自体に制裁はありませんが、既存法令違反による行政処分や、行政指導・公表によるレピュテーション毀損リスクには注意が必要です。
(1) EU基準をベースラインとする戦略
両市場で事業を行う企業にとって、EU AI法の高リスク要件を満たす体制構築が、堅牢なガバナンスのベースラインとなります。ただし、日本固有の法的論点(個人情報保護法の詳細要件、労働法上の慣行、消費者保護法制)は別途検討が必要です。
(2)日本を起点とする場合の課題
日本市場を主眼に開発されたAIシステムをEU市場に展開する際は、技術文書の遡及的作成、リスク管理プロセスの形式化、適合性評価手続への対応といった追加作業が発生します。早期段階からEU要件を意識することで手戻りを最小化できます。
本章では、具体的な利用場面を通じて、両規制の違いが実務にどのように現れるかを検討します。
ある企業が、AIを用いた採用スクリーニングシステムを開発しました。このシステムは、応募者の履歴書、オンライン適性検査の結果、ビデオ面接での応答を分析し、採用候補者を推奨します。この企業は、同じシステムをEUと日本の両方で使用することを検討しています。
この事例が重要なのは、以下の理由からです。
(1)リスク分類
EU AI法の下、雇用、採用、選考に関する意思決定に用いられるAIは、Annex IIIに明示的に列挙されており、原則として高リスクAIに該当します。
これは、個人の雇用機会へのアクセスに実質的な影響を与え得るためです。
(2)課される義務(詳細)
高リスクAIとして分類される場合、プロバイダー(AIシステム開発・提供者)およびデプロイヤー(利用者、この場合は採用を行う企業)には、以下のような詳細な義務が課されます。
(3)プロバイダー(AIシステム開発・提供者)の義務
①リスク管理: システムのライフサイクル全体を通じた継続的なリスク管理体制の構築・維持。特に、バイアスや差別的効果のリスクを特定・評価・軽減する措置
②データガバナンス:
・訓練データセットが、対象となる人口集団を適切に代表していることの確認
・既知のバイアス(性別、人種、年齢等)の検証と是正
・データ品質の継続的な監視
③技術文書と記録保持:
・システムの設計、開発、テストに関する詳細な文書の作成
・規制当局がコンプライアンスを評価できる情報の整備
・必要に応じたログの自動記録
④透明性と利用説明書:
・デプロイヤー(この場合、採用を行う企業)に対する、システムの意図された目的、限界、適切な使用方法の明示
・システムがどのような要素を重視し、どのような判断をするかの説明
⑤人間による監視:
・適切に訓練された人間がAIの出力を監督し、必要に応じて介入できる設計
・採用の最終判断を人間が行うことを担保する仕組み
⑥正確性、堅牢性、サイバーセキュリティ:
・採用文脈において適切な性能基準の達成
・不正アクセスや操作への耐性
⑦適合性評価と登録:
・市場投入前に、関連する適合性評価手続(多くの場合、内部管理に基づく評価)を完了
・EU データベースへの登録
(4)デプロイヤー(採用企業)の義務
デプロイヤー(この場合、採用AIを実際に使用する企業)には以下の義務が課されます。
(5)違反の場合の帰結
これらの義務に違反した場合、以下のリスクがあります。
(1)AI推進法上の位置づけ
日本では、同じ採用スクリーニングシステムは、AI特有の適合性評価や事前承認の対象とはなりません。AI推進法は、「合理的に実行可能な範囲での必要な措置」を努力義務として求めるのみです。
しかし、これは法的リスクがないことを意味しません。実際の法的リスクは、以下の既存法制から生じます。
(2)関連する法的論点
①雇用・採用規制
②個人情報保護法(APPI)
(3)消費者保護・不当表示のリスク(該当する場合)
採用AIシステムを外販する場合、その性能や精度について、実際よりも著しく優良であると誤認させる表示を行うと、景品表示法違反となり得ます。
①AI推進法に基づくガバナンス期待
法的強制力はないものの、AI推進法とそれに関連するガイドラインは、以下のような期待を示しています。
②実務上の対応
日本で採用AIを用いる企業は、形式的な事前承認は不要ですが、以下の対応が推奨されます。
このケーススタディが示す最も重要な違いは、タイミングと責任の所在です。
(1)EUのアプローチ
EUでは、企業は市場投入前またはシステム運用開始前に、高リスク要件を満たしていることを実証しなければなりません。構造化された文書と適合性評価が中心的な役割を果たします。
この枠組みは、初期コストは高いものの、規制当局との関係において防御的な立場を確保できます。
(2)日本のアプローチ
日本では、システムの運用開始に際してAI特有の障壁はありませんが、問題が生じた際に、既存法に照らして合理的であったことを事後的に説明する責任が企業にあります。
この枠組みは、柔軟性と速度を提供しますが、事後的なリスクを自ら管理する能力が企業に求められます。
(3)両市場で同一ツールを展開する戦略
両市場で同じ採用AIツールを展開する企業にとって、効果的な戦略は以下の通りです。
本章では、EUと日本の両市場でAIを活用する企業が、実務上どのような対応を取るべきかを整理します。
EU AI法の高リスク要件は詳細かつ包括的であり、これを満たす体制を構築することで強固なガバナンス基盤が得られます。リスク管理プロセス、データガバナンス、技術文書、人間による監視メカニズムは、日本を含む他市場でも有益です。
ただし、EU適合だけでは不十分です。個人情報保護法の詳細要件(利用目的の特定、第三者提供、開示請求対応等)、労働法制における慣行、業界自主規制、消費者保護法制における表示規制といった日本固有の論点は別途検討が必要です。
企業は、AIの出力が個人・顧客・取引先にどのような影響を与えるか、雇用・信用・価格設定・適格性判断など高影響領域での利用か、大量の個人情報を処理するか、自動化の程度(人間の関与の余地)といった観点から、AI利用場面を早期に特定しリスク評価を行うべきです。
早期評価により、EU高リスク分類該当の可能性予測、日本で適用される既存法制の特定、設計段階からのコンプライアンス組込みによる手戻り最小化が可能になります。
EUでは高リスクAIについて技術文書と透明性が明示的な義務です。日本でも、行政指導、監査、苦情対応、訴訟リスクに備えて説明可能性は実務上不可欠です。
AIシステムの設計意図と限界、訓練データの出所と品質、バイアステストの実施方法と結果、人間による監視・介入の仕組み、インシデント対応手順といった事項を文書化すべきです。文書化は単なる規制対応ではなく、内部意思決定の質向上、インシデント時の迅速対応、関係者とのコミュニケーション基盤として機能します。
EUでは明示的なルールベースの執行と重大な制裁が想定されるため、法令遵守を実証できる証拠の整備、監督当局の照会・調査への対応体制、違反リスクの早期発見と是正のための内部監査を準備すべきです。
日本では関係性重視・裁量的執行が中心であり、規制当局との良好な関係構築、業界動向への注視、公表や行政指導のリスク評価、レピュテーション管理に注意が必要です。AI特有の制裁はなくとも、既存法令違反や公表措置による影響は軽視できません。
AI規制対応では、企画段階での利用場面のリスク評価と規制適用可能性判断、設計段階でのガバナンスメカニズム組込みとデータ取得方法の適法性確認、開発段階での文書化の並行実施、市場投入前のEU適合性評価と日本既存法制への最終確認が重要です。
EU向けには早期からの体系的関与により後の設計変更・文書追加コストを削減でき、日本向けには定期的レビューとガイドライン・執行動向のモニタリングが効果的です。
EUと日本は、AIの台頭に対して、その制度設計において対照的なアプローチを選択しました。EU AI法は、包括的で拘束力のあるリスクベースの枠組みを通じて、事前統制と市場全体での統一性を優先しています。日本のAI推進法は、政策主導のアプローチを採り、既存法制と行政実務を通じてリスクに対応しつつ、イノベーションを促進することを選びました。
クロスボーダーでAIビジネスを展開する企業にとって、いずれのモデルも無視することはできません。両規制がどのように機能し、既存法制とどのように相互作用するかを理解することは、責任あるAI活用と競争力維持の両立に不可欠です。
AI技術と規制環境が進化を続ける中、先を見越した戦略的な法務対応が、持続可能なAI事業の中核的要素であり続けるでしょう。
参考資料
本稿の執筆に際しては、以下の資料を参照しました。
EU AI Act関連
EU Artificial Intelligence Act 公式サイト:
https://artificialintelligenceact.eu/implementation-timeline/
日本のAI規制関連
人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律(法令データ):
https://laws.e-gov.go.jp/law/507AC0000000053
同法律の概要(日本法令外国語訳):
https://www.japaneselawtranslation.go.jp/outline/168/905R744.pdf
AI関連技術の研究開発・活用の推進に関する法律が全面施行, 政府広報オンライン(2025年11月):
https://www.gov-online.go.jp/hlj/ja/november_2025/november_2025-08.html
国際的な比較分析
Understanding Japan’s AI Promotion Act: An “Innovation-First” Blueprint for AI Regulation, Future of Privacy Forum:
https://fpf.org/blog/understanding-japans-ai-promotion-act-an-innovation-first-blueprint-for-ai-regulation/
How Japan is regulating AI: Inside the AI Promotion Act, Nemko Digital:
https://digital.nemko.com/regulations/ai-regulation-japan
本稿は、2026年1月時点での情報に基づいており、今後の法改正や執行実務の変化により内容が変わる可能性があります。個別の案件については、専門家にご相談ください。