大阪万博ガンダム館から考える:軌道エレベーターで殺人事件が起きたら誰が裁く?

2025.07.28

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1. ガンダムから始まる思考実験

一見するとSFの話のようですが、実は私たちのすぐ近くにある「未来の現実」かもしれません。
私は現在大阪・関西万博に繰り返し足を運んでいます。
前回は石黒浩教授のアンドロイド展示からインスピレーションを受け「アンドロイドになった『私』は同一人物か?」[https://innovationlaw.jp/android-law/]というブログを書きました。

そして、今回訪れたのがガンダムパビリオンhttps://www.expo2025.or.jp/domestic-pv/bandai-namco/です。ガンダムといえば、モビルスーツによる戦争と人類の宇宙進出を描いたSFアニメの金字塔ですが、万博パビリオンでは、モビルスーツが建設や農業、宇宙ゴミの回収などに使われる平和な未来が描かれています。観客はエリア7(ガンダム用語で地球のこと)の夢洲から軌道エレベーターに乗って、スペースコロニーへ向かう仮想体験をします。
その体験をしながら、こんなことを考えていました。

「これ、展示だと短時間で宇宙に着くけど、現実なら何日もかかるよね。その間に何かが起きたら、どこの法律が適用されるんだろう?
そもそも、軌道エレベーターって乗り物なの?建物なの?
ガンダムの世界ではスペースコロニーが地球から独立してるけど、地上とつながってる場合はどこの領土になるんだろう?」

前回のブログでは「人間の境界」が曖昧になる未来について、法がどうあるべきかを問いかけました。今回は「空間の境界」が曖昧になる未来、すなわち宇宙において、どこの国が、誰に、どう届くのかをめぐって、法的な視点から思考実験を試みたいと思います。

図1 軌道エレベーターとスペースコロニー(AI作成イメージ)

2. 出産はどこの国で?-軌道エレベーターと「空間の国籍」

(1) 宇宙への入り口は「赤道直下」限定

軌道エレベーターで出産が起きたとします。陣痛が始まったのは地上から1万キロの地点。赤ちゃんが生まれたのは2万キロの地点でした。
この子の国籍を決める前に、まず考えなければならないのは「そもそも、そのエレベーターはどこに建っているのか?」という問題です。
実は、軌道エレベーターには意外な物理的制約があります。静止軌道の関係で、赤道直下にしか建設できないのです。つまり、日本のような場所では物理的に建設不可能。エクアドル、ケニア、インドネシア、ブラジル、コンゴなどの赤道直下の国でなければ建設できません(この点はパビリオンでも説明されます)。

(2) 技術を持つ国 vs. 土地を持つ国

ここで面白い(そして複雑な)構造が生まれます。
軌道エレベーターを建設する技術と資金を持っているのは、主にアメリカ、ヨーロッパ諸国、中国、そして日本だと思われます。しかし、物理的に建設できる場所を持っているのは、赤道直下の国々。つまり、「技術を持つ国」と「土地を提供する国」が必然的に分離してしまうのです。

冒頭の出産の例に戻ると、もしアメリカがエクアドルに軌道エレベーターを建設していた場合:

  • エレベーターの所有者:アメリカ?
  • 土地の提供国:エクアドル
  • 出産場所の管轄権:どちら?

これは単純に「どちらかの国籍」では解決できない複雑さを孕んでいます。

表1:軌道エレベーターの構造と管轄の境界

(3) 宇宙への「玄関口」を誰が管理するか

軌道エレベーターは単なる輸送設備ではありません。地球と宇宙を結ぶ唯一の「玄関口」として、政治・経済・安全保障上の極めて重要な戦略インフラとなります。
地球と宇宙の物流・通信がこの一点に集中するため、エレベーターを管理する国は宇宙経済において圧倒的な優位性を持つことになります。また、宇宙空間での活動を事実上コントロールできる立場に立つのです。
こうした状況は、現実の宇宙開発においても「軌道上からの優位性」という深刻な国際問題を引き起こす可能性があります。

(4) パナマ運河型「租借モデル」の再来?

では、地理的に建設できる赤道国と、技術を持つ先進国がどう協力するべきか。よく引き合いに出されるのが、20世紀初頭にアメリカがパナマに建設したパナマ運河の事例です。
当時、アメリカはパナマから99年間、運河地帯を租借し、実質的な主権と軍事的管理権を持ちました。軌道エレベーターでも、「土地と空間を長期間借りる形(租借)」で建設・運用するというモデルが想定されます。
ただし、軌道エレベーターは単なる地上施設ではありません。地表から35,000kmの宇宙空間までを貫通する構造です。単なる地上の借地契約では済まず、領空・未定義上空・宇宙空間の利用を含めた契約が必要になります。おそらく史上最も縦に長い法的取り決めが生まれることでしょう。

(5) 現実的な解決策を模索する

現在、軌道エレベーターの法的研究では、いくつかの代替案も検討されています。
日本宇宙エレベーター協会などは「赤道直下の海上に建設する」ことで領土問題を回避する案を提示していますが、海洋法は上空利用を想定しておらず、新たな法的課題を生みます。
また、日本の航空宇宙学会などからは「複数国による国際コンソーシアム形式での建設・運営」が提案されています。国際宇宙ステーションのような多国間の制度設計によって、単独国家の独占を避けながら宇宙インフラを運営するモデルです。
いずれにせよ、軌道エレベーターは「どこに建てられるか」という物理的制約が、「誰とどう法的に協力するか」を決定づける構造を持っています。技術の制約そのものが、新たな国際制度設計を促しているのです。 次章では、このエレベーターが通る「空間そのもの」——すなわち、領空・宇宙空間・その間の未定義領域で、どのような法的問題が生じるかを掘り下げていきます。

3. 殺人事件が起きたのは何km地点?-「超上空」のグレーゾーン

(1) 1万キロ地点は「どこの国」なのか?

軌道エレベーターで殺人事件が発生しました。容疑者は逮捕されましたが、事件が起きたのは地上から1万キロの地点。ここで問題になるのは「その場所は、そもそもどこの国の法律が適用される空間なのか?」ということです。
実は、この問いに対する明確な答えは存在しません。なぜなら、軌道エレベーターは「どこからどこまでが誰の主権か分からない空間」を35,000kmにわたって貫通する構造だからです。

(2) 大陸横断鉄道のように変わる法域

軌道エレベーターの特殊性は、大陸横断鉄道と似ています。鉄道が国境を越えるたびに適用される法律が変わるように、軌道エレベーターも高度を上がるにつれて法域が変わっていくのです。
ただし決定的な違いがあります。鉄道なら国境という「線」で法律が切り替わりますが、軌道エレベーターの場合、どこからどこまでがどの国の法律なのか、その境界線自体が曖昧なのです。
飛行機であれば1つの国の法律が適用される。これに対し、一本の構造物でありながら、地上→領空→宇宙空間と、垂直移動に伴って法的な世界が段階的に変わっていく——これまでにない極めて特異な存在なのです。

(3) 主権の届く空の限界

まず驚くべき事実から。国家の「領空」がどこまで及ぶのかは、実は国際法で明確に決まっていません。
確実に主権が及ぶのは、旅客機が飛ぶ高度──おおよそ10〜12km程度まで。それより上空の成層圏や中間圏(12〜100km)については、「たぶん領空だろう」という曖昧な状態です。

(4) 宇宙条約と「宇宙空間」の定義

1967年の宇宙条約では「宇宙空間に主権は及ばない」と定められています。しかし、ここにも問題があります。

そもそも「どこからが宇宙空間」なのかが決まっていないのです。

  • アメリカ:高度80km以上を宇宙とする
  • 国際航空連盟:高度100km(カルマンラインと呼ばれます)を境界とする
  • 宇宙条約:特に定めなし

この曖昧さが、軌道エレベーターのような「地上と宇宙を連続的に結ぶ構造物」には致命的な問題となります。

(5) 法的空白を貫通する構造物

軌道エレベーターは一本の連続した構造物です。しかし、それが通過する空間は:

表2:宇宙空間における法律の適用範囲(概念図)

高度帯 法的性質 現行法で適用される可能性のある法律
地表〜12km 確実な領空 建設地国の刑法・民法
12km〜50km 実質的領空 建設地国の法律(推定)
50km〜100km 未定義空間 不明
100km以上 宇宙空間 宇宙条約+施設の登録国の法律

となります。冒頭の殺人事件の例では、1万キロ地点は明らかに宇宙空間なので、そのエレベーターを「登録」した国の法律が適用される可能性が高いでしょう。しかし、100km地点なら?これはまさに「法の空白地帯」での犯罪となってしまいます。

(6) ケーブル1本に複数の法体系?

現実的には、軌道エレベーターを高度別に「ここからここまではA国法、ここからはB国法」と切り分けて管理することは不可能です。
構造物全体を統一的にどの法的枠組みで扱うかが、軌道エレベーター建設における最大の法的課題の一つです。単独国による管理か、多国籍企業による運営か、それとも国際機関による統治か——その選択によって、宇宙への「法的な入り口」の性格が決まることになるでしょう。

次章では、この軌道エレベーターの先にあるスペースコロニーで、より複雑な法的問題が生じることを見ていきます。

4. ストライキは合法か? -スペースコロニーの労働法制

(1) モビルスーツパイロットの権利は誰が守る?

スペースコロニーの外壁建設に従事するモビルスーツパイロットたちが、宇宙空間での危険作業に対する特別手当の支給を求めてストライキを起こしました。
彼らの要求は正当なものです。宇宙空間での建設作業は、地上の何倍もの危険を伴います。しかし、ここで問題になるのは「この労働争議はどこの国の労働法で解決されるべきか?」ということです。
実は、この問いに答えるためには「そのスペースコロニーがどこの『国籍』を持っているか」を知る必要があります。しかし、宇宙施設の国籍を決める現行制度は、将来のスペースコロニーにはとても対応できない複雑さを抱えているのです。

(2) 現行の「登録国主義」とその限界

現在の宇宙法では「登録国主義」というルールがあります。宇宙に打ち上げられた人工物(衛星、宇宙船、宇宙ステーション)は、それを打ち上げた国または打ち上げを委託された国が「登録国」となり、その国が管轄権と責任を持つことになっています。
国際宇宙ステーション(ISS)では、この原則が比較的うまく機能しています。日本の実験棟「きぼう」では日本法が、ロシアのモジュールではロシア法が適用される「区画主義」です。
しかし将来のスペースコロニーは、各国がモジュールを持ち寄る研究施設ではありません。一つの大きな「宇宙都市」として、住宅、商業施設、病院、学校、工場などが一体化された社会インフラです。従来の「打ち上げ国=登録国」というシンプルなルールでは対応不可能なのです。

(3) 複数国が関わる複雑な建設体制

スペースコロニーの建設・運営は極めて複雑な国際体制になることが予想されます。

例えば、資金提供は欧州宇宙機関・NASA・JAXA・民間投資ファンドの合弁、建設はSpaceX(米)・三菱重工(日)・Airbus(欧)の共同事業、部材の打ち上げは各国のロケットを使い分け、最終的な組み立ては軌道上で無人自動で行う——といった具合です。

この場合、冒頭のモビルスーツパイロットのストライキはどう扱われるのでしょうか?

  • アメリカ企業雇用のパイロット → アメリカ労働法?
  • 日本企業発注の建設工事 → 日本労働法?
  • 欧州出資のプロジェクト → EU労働法?

どれが正解かわからない——これが現実になりうる問題なのです。

(4) 軌道エレベーター接続でさらに複雑に

軌道エレベーターでスペースコロニーが地上と物理的に接続されている場合、問題はより複雑になります。
従来の宇宙施設は宇宙空間に「浮かんでいる」ものでした。しかし地上と繋がったコロニーは「地上施設の延長」とも見なせます。エクアドルから延びる軌道エレベーターに接続されたコロニーで労働争議が起きた場合、登録国の法律か、接続地国の法律か、それとも特別な国際協約か ──選択肢が複数生まれてしまいます。

(5) 宇宙市民権という新しい概念

もし数万人がスペースコロニーで生活し、そこで子どもが生まれ、教育を受け、働き、結婚し、老いていくとしたら?
彼らの「国籍」はどうなるのでしょうか?
ガンダムでは、宇宙生まれの「スペースノイド」と地球生まれの「アースノイド」という区分が描かれていました。フィクションですが、実際にコロニーで生まれ育った人々の市民権・参政権・社会保障をどう扱うかは、現実的な制度設計の課題となるでしょう。
宇宙労働者の権利を誰が守るのか?この問いは、やがて「宇宙市民の権利を誰が守るのか?」という、より根本的な問題へと発展していくのです。

【コラム:コロニーが攻撃されたら誰が守るのか?】

スペースコロニーの法的地位を考える上で避けられないのが、軍事・安全保障の問題です。
もしスペースコロニーがサイバー攻撃や物理的攻撃を受けた場合、どの国が防衛責任を負うのでしょうか?

現行制度では:
宇宙条約:宇宙空間での平和利用を原則とし、主権の主張を禁止
宇宙損害責任条約:登録国が国際責任を負う
つまり、登録国が第一義的な責任を負うことになります。しかし、軌道エレベーターで地上と接続されている場合、地上拠点のある国も「自国インフラ」として防衛する可能性があります。
また、宇宙条約では大量破壊兵器の配備は禁止されていますが、通常兵器による警備や迎撃システムは禁止されていません。このグレーゾーンが、将来の宇宙軍事化の火種になる可能性もあります。

制度設計が必要
軌道エレベーターとスペースコロニーは、宇宙を「生活圏」として現実に組み込む試みです。しかし現行の国際法は、これらを「単なる人工物」としてしか捉えていません。
実際に人が住み、働き、社会が機能するコロニーには、従来の登録国制度では対応できません。「宇宙市民権」や「多国籍自治区」「軌道上特別行政区域」といった新しい制度概念が必要になるでしょう。

【コラム:AIパイロットに人権はあるか?(思考コラム)】

万博ガンダム館では、ある有名パイロットの思考や人格を再現したAIが登場します。絶体絶命のシーンで現れたモビルスーツが、AIパイロットにより観客を救い出すのです。ここで一つ問いかけてみたいと思います──このAIに、人格や人権はあるのでしょうか?
AIは、過去の発言や行動から学習し、“その人らしい”ふるまいを模倣します。しかし、それは本人ではなく、あくまで“らしさ”を再現したソフトウェアです。
現在の法制度では、AIに人格権や人権は認められていません。責任主体にもならず、あくまで所有物として扱われています。
しかし将来、自己認識や判断能力を備えたAIが登場し、たとえば宇宙空間で人命救助を行い、「自己犠牲」を選ぶような存在となったとき──私たちはそれを、依然として“ただの道具”と呼べるのでしょうか?
AIパイロットは、放射線や真空といった過酷な環境でも活動でき、人間以上に重要なパートナーになる可能性があります。
そのAIが、誰かを救い、誰かを選び、自らを犠牲にしたとしたら──
それはただの機械か、それとも「誰か」なのか。
未来の法と倫理は、いずれこの問いから目を背けることができなくなるのかもしれません。

5. 宇宙法は未来に追いつけるか?─制度設計に向けた提言

万博のガンダム館で見た未来の宇宙インフラは、決してSFではありません。軌道エレベーターは2050年代の実現が予想され、宇宙コロニーも今世紀中には現実となる可能性があります。
しかし、1967年の宇宙条約は、軌道エレベーターも宇宙コロニーも条約制定者の想像の範囲外でした。物理的制約による地政学的不平等、主権の及ぶ範囲の曖昧さ、複雑な責任関係 ──これらはすべて、技術進歩が既存の法制度を追い越した結果です。
日本が宇宙開発における法的ルール作りをリードするためにも、万博で見た未来が現実になる前に、法的な準備を整える時が来ているのです。

参考文献